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No.126 トゥーランドット 事務局子 2009/01/24(Sat) 15:45 ポール・ポッツというオペラ歌手をご存じでしょうか。
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中学生の息子がトゥーランドットを口ずさんでいるので不思議に思っていたら、どうやらコマーシャルで歌われているらしい。トゥーランドットは荒川静香選手がトリノ五輪で使用したプッチーニのオペラ曲で、イナバウアーとともに印象に残っています。 太ったおじさん歌手がトゥーランドットを歌い、最後には龍角散を自分で服用するという、ドミンゴやパバロッティは絶対やらないCMですが妙に引き込まれます。 最近わかったことですが、このポッツ氏、おととしまではイギリスのケイタイショップの店員だったそうです。人生挫折の繰り返しで、歌だけは捨てないで中年にさしかかったところで、イギリス版「スター誕生」のオーディション番組に出たわけです。しょぼい服装で歯が欠けたその口から、「誰も寝てはならない」がつむぎだされると・・・その場で観衆と審査員の心をわしづかみにして、CDデビュー。1000万枚を売り上げて、一躍世界的なスターになったというシンデレラ?ストーリーの主役なのです。 ポッツ氏は、小さい頃から貧乏で不細工でデブで気弱でいじめられたそうです。大学を出ているようですが、35歳でケイタイショップの店員ということはしょぼくれ中年ということですが、独学の歌一発で世界が変わってしまったのです。 しろうと見でも、歌唱力はドミンゴ、パバロッティより一段落ちるのは確かです。しかしながらなんというかオーディション会場の観衆と同じですが、心がわしづかみにされるんです。こうしてコラムに書いているのも、同窓の方で、知らない方もいらっしゃるかと思いおせっかいしているわけですが。 音楽の分野は違いますが、秋元順子という還暦歌手が今大ブレークしています。現在61歳なのですが、専業主婦として趣味で歌っていたところ、いろいろな経緯があり、58歳でメジャーデビューし、「愛のままで」が大ヒット、年末の紅白歌合戦に出場、今月はオリコン1位最年長記録を更新しました。黙っていればただの東京の下町(現在居住)のおばちゃんですが、歌い出すと、聴衆をひきつけてしまう。高橋真梨子と並んで、最もチケットを取りにくい歌手になっているようです。 二人に共通するのは歌うことが好きでたまらないこと、売らんかなの努力ではなく、自分で歌う機会をなんとか自助努力で探してきたということです。それに世間がシンクロしてきたというのが事実です。 何も有名にならなくても、金銭的に成功しなくても、自分の好きな道を追求している人々は沢山存在するのでしょうね。 そういえば、紹介するまでもないほどの日本を代表するテナー、福井敬さんは水高出身です。彼のトゥーランドットを聞く機会が来ればうれしいですね。というわけで、掲示板と「事務局日記」をシンクロさせたわけですが。 No.125 センター試験のかげで地盤変動が 事務局子 2009/01/18(Sun) 17:56 初選抜 227名が挑戦 一関一高付属
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公立高校として県内で初めて本格的な中高一貫教育を導入する県立一関一高に来年度開校する付属中学校の入学者選抜が17日、一関市の同高であった。男子は112人(定員40人)、女子は115人(同)が受検し、倍率は男子2・80、女子2・88。受検した小学生たちは志望の動機について、医者や教師といった将来の目標を挙げ、検査については「緊張した」「難しかった」と振り返った。 午前8時ごろ。受検生が保護者に付き添われて次々に校門をくぐった。出迎えた塾の講師に「がんばって」と声をかけられ、少し表情をゆるめて会場へと急ぐ子もいた。 検査は7教室に分かれて、適性検査1、2と作文を45分間ずつ実施。体調が万全でない5人が別室で受検した。午後からは8室で、5人1組で20分ほどの面接があった。 大きな混乱はなかったが、解答用紙の印刷ミスで児童1人が終了後に検査の一部を受け直すトラブルがあった。県教委によると、1枚の解答用紙だけ記入欄が部分的に白紙になっており、児童はその部分の問題を解かずに検査を終えた。回収後に監督官が気づき、面接終了後に10分間、解き直しの時間を与えた。 来年度から一関市に引っ越してくるという福島市の男の子は、将来医者になりたいといい、大学受験に向けてじっくりと勉強するために志望した。「最初は緊張したけど自分のペースでできた」。一関市立一関小の男の子は「社会と算数がまざったような問題があって戸惑った」。 「周りがみんな頭良さそうですごく緊張した」と振り返った市立南小の女の子は、将来教師なるために自分で希望した。母親(47)は「初めてなので傾向が分からず不安だったが、高校受験は必ずあるし、早くトライして受かるのであればと挑戦させました」と話していた。 選抜結果は24日までに本人に発送され、26日からは県教委のホームページでも確認できる。27、28の両日で入学手続きを受け付ける。 適性検査の問題と正答例、作文の課題は下記リンクから。 ■県教委の出題方針は■ 県教委学校教育室は17日夕に会見し、適性検査の問題と作文の出題方針について「小学校で習う国語、算数、理科、社会などの基本知識をふまえ、それを活用して課題を解決する能力をみる問題とした」と説明した。 問題は、適性検査1、2、作文の三つ。二つの適性検査とも総合力や論理性を問うもので内容に大きな差はなく、「集中力の持続時間を考えて45分ずつに分けた」という。 適性検査は筆記式。例えばある発表会のプログラムについて話し合う会話文を読み、適切なタイムテーブルを考える問題では、自己の能力を発揮して集団に寄与することができるかをみる。また、家庭ゴミの内訳を表す円グラフなどをもとに「自分にできるゴミ減量」を文章でまとめる問題では、環境問題への関心、資料やグラフをもとに考える情報処理能力をみるという。 作文は、自転車事故についての中学生の体験文を読み、自分の経験に引きつけて600字でまとめる問題。文章の把握力と論理構成、意見の明確さなどが採点基準だ。 佐々木修一・同室長は「公式をあてはめるだけのパターン学習ではできない、教科・科目の枠を超えて知識を活用する力を問うものになっている」とした。 ■専門家はこう見る■ ○M進一関校・佐藤亜樹専任講師 適性検査は環境問題や地域などを中心題材に扱っている。科目知識を問うものとしては、算数が中心で、理科、社会の要素を融合させた問題も多い。資料の内容を実際の生活とかかわりを持たせ、各自の考えを記述させている。典型的な出題形式で、「聞き取り」を除けば独自傾向の問題はなかった。 難易度は、東北地方の他の公立中高一貫校の問題と比べて同レベルか、やや易しい程度だ。ただし、説明や資料の分量が多く、設問までたどりつくのに時間がかかる上、記述問題も多い。45分間では時間が足りない児童も多かったのではないか。 対策としては、小学校の学習内容を身につけた上で、日頃から環境問題やニュースに目を向け、自分の意見をまとめて表現する必要がある。また他県の過去問など記述式の問題に親しみ、経験を積んでおくことが重要だ。 作文は、課題文が長いが一般的な設問だった。 ○岩手大教育学部・田代高章准教授 適性検査は、全国学力調査などで明らかになった、日本の子どもたちの課題とされる「活用力」を問う問題構成だ。 決まった正解を答えさせるのではなく、自分なりに考えさせ、知識の「理解」を試している。記述式が中心で、同時に表現力も試している。各教科の枠にしばられない学力を問うているのも特徴だ。さらに適性検査1は、岩手県という身近な地域を素材にすることで、子どもたちにとってイメージがわきやすい問題となっている。 小学校できちんと「考える力」がついていれば、対応できる。昨今、日本の教育が求めている方向性にあったものと言えるだろう。 ただし、出題範囲は国語、算数、理科、社会の4教科の内容からはみ出してはおらず、小学校の学習範囲を網羅しているわけではない。小学校の、音楽や体育、図工を含む全人的教育の成果はどこで判断されるのだろうか。 朝日新聞1月18日付岩手版 長くなりましたが、センター試験と平行して、一関一高の付属中学の選抜試験が行われていました。東京の中学入試の問題とは異なりますが、一関地域以外にも多数が受験していることは、高校にも影響が出ることは必至ですね。 No.124 頑張れ受験生:センター試験始まる 事務局子 2009/01/17(Sat) 10:43 「ハドソン川の奇跡」「阪神淡路大震災14周年」「派遣切りに関するマスコミのスタンスのうさん臭さ」など、同窓会サイトのコラムでなければ、書きネタには事欠かないのですが、やはり取り上げるべきはセンター試験でしょう。本日から開始ですね。私立大学も多数導入していることや、そもそも国公立志向の水高ですから、大半の現役諸君が本日試験の臨んでいるのではないでしょうか。
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昨年はカレーライスが受験には効果があるなんて紹介しましたが、要は平常心で臨むことが肝要です。センター試験は基本的に地元で受験しますが、そのあとの私立大学、国公立大学の試験は現地で行われます。情報化の進展で社会が平準化されてきているとはいいながら、岩手から上京して受験となるとアウェイ状態なので気後れすることがあります。 ホテルや旅館に泊まるため、デリケートな人は通常の睡眠ができない。食事も外食だけ。地理も不案内なので、会場に着くまでは安心できない。なにより不安なのは、まわりの受験生がみんな出来そうに見えることです。これは心理的に負荷がかると、普通の神経の持ち主は自分を劣位に置きたがるのは当然ですので、自分が普段と違う状況にあることを認識していればそれほどのことではありません。 雑誌やメディアは偏差値や倍率を仰々しく書きたてますが冷静に分析すると実はそれほどでないことがわかります。 まずは国公立大学です。国公立大学は地域の受験生の局地戦だということです。医学部だけは例外ですが。首都圏の受験生には国公立志向というものがそもそもありません。東大一橋、東工大、国立医学部(地方もOK)という、一部優秀受験生御用達以外は、国公立は眼中にありません。地元としての千葉大、埼玉大、東京学芸大というものはありますが。したがって国公立大学の大半は東北比例区選抜みたいなことになりますので、ライバルは隣に見えるわけです。 では私立大学はどうでしょうか。このコラムに何度も書きましたが、東京の私立大学に地方から入学するのは、学力以外に必要なものがあるということです。ボロアパート可の男子学生であれば、授業料を含めた学費、最低100万、光熱費を含めた住居費60万、食費その他で最低60万、どう考えても必要なお金は200万はくだらない。学業に支障がない程度にアルバイトしてもせいぜい60万程度ですから、仕送りは最低120万から180万が必要になります。六大学に進む学力はあっても経済の事情がという家庭は多々あるわけで、東京の私立大学に地方から入学できるのはある種恵まれた家庭と考えた方がよろしいかと思います。 ただ私立大学に関しては、受験回数の複数化が進んだため、個々の試験のボーダーラインが名目偏差値からそれほど落ちないため、全勝とか全敗が普通に出る構造になっていることは注意すべきでしょう。 1月18日は、東大安田講堂攻防戦が昭和44年に繰り広げられた記念すべき日であり、結果当年の東大入試は中止に追い込まれました。影響は東大受験生だけでなく玉突きのように広がったわけですが、当事者である学生はともかく、受験生たちはどんな心境だったんでしょうね。 No.123 受験の季節がやってきた 事務局子 2009/01/10(Sat) 09:58 正月気分なんてとてもなかった平成21年の幕開けですが、もう新学期、センター試験に始まる入学試験の季節が巡ってきました。首都圏では、附属からの進学、推薦、AO、単願?等を含めると、まともに入学試験を受験して進学する生徒は半分以下になっているようです。
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大学に「単願」(入学することを約束することの見返りに合格をもらう方法)は、冗談ですが、まあ願書を提出して名前さえ書ければ、合格という「名ばかり大学」が多数あることは事実です。ただ入りたい大学は限定されており、そこには受験生は集中します。私立大学は複数受験(最近では同一大学同一学部を何回も受験できるシステムになっています)できるため、「たまたまの失敗」はあっても、実力さえあれば、似たようなランクの大学には合格できるため、「たまたまの合格」チャンスは少なくなり、逆に局地的受験競争が激化しているわけです。 それでは首都圏在住の特権として、早慶の附属・附設中学をねらわせるとすると、少なくとも、岩手の公立高校の入試レベルを超える問題が多々ある入学試験に小学生が臨まなくてはいけません。知り合いの子どもは正月返上で勉強漬けでした。 一方国立大学はどうでしょう。バブルの時期、その後の東京一極集中時代を迎え、国立大学の地盤沈下が言われた時代がありました。実際ボロの出易い理系の学部では、高校レベルの数学・物理が理解できないので、補習授業を設けたとかいうニュースが流れたほどです。これは知り合いの大学教授に聞いたので間違いありませんが、東北のある国立大学の工学部の学生は1/3は箸にも棒にもかからないそうです。 ところがこの経済状況は、地方の受験生の親には大変は負担をもたらし始めています。以前、東京で私立大学に入学して、普通の生活環境にある女子学生であれば、年間300万かかると試算したことがありますが、その半額の150万でも捻出が厳しい家庭は増えているはずです。地方の国立大学は昔から地元の秀才が入学することがあるので、見た目の偏差値では学生のレベルは図れませんが、今回の事態は、偏差値押し下げ要因の学生が弾き飛ばされるわけで、つまり入試がきつくなるということです。 アメリカでは、停滞していた1980年代(レーガノミクスが始まる前)に、「親の頃より貧しい子ども世代」が現出しました。 どうも現在の日本もそんな状況です。今の受験生の親は1970年代後半から1980年代前半あたりに受験している世代ですが、当時はどうかというと、高度成長から安定成長に切り替わる時代でしたが、二度のオイルショックを跳ね返す地力を日本経済はもっていました。「明日があるさ」という時代でしたから、手元資金が乏しかったらローンを組んで、子どもの進学意欲に答えようとしました。もっと前の時代みたいに、家庭の事情で大学進学断念という子どもは例外的存在でした。 今は明日が見えないという段階で、親の時代よりも明らかに環境が悪化しています。一部の受験生は、入学試験以前のストレスを抱えて受験しなければいけないわけで、同情を禁じえませんが、こんな時こそ、進路については真剣に考えざるをえません。 会社社会では、厳しい時代に入社した連中が将来会社の屋台を背負っていると言われます。なんの励ましにもなりませんが、受験生には乾坤一擲、頑張ってほしいものです。 #:写真は神楽坂にある赤城神社の境内に合祀されている蛍雪天神で、湯島天神などの老舗に対して、ニューカマーという立場で受験生のお参りが絶えません。もとは北野神社の東京末社のひとつでしたが、戦災で焼けてそのままになっていました。 それが数年前、旺文社により再建されたわけですが、勧進したのが旺文社ということで、ご利益に即効性をもとめるむきには人気があるようです。 No.122 今年もよろしくお願いします。 事務局子 2009/01/03(Sat) 10:02 新年明けましておめでとうございます。せめて挨拶くらいは明るくいきたい2009年、本年もよろしくお願いいたします。
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30日まで仕事だったため大晦日の帰省になりました。気が抜けたため、「はやて」に乗るはずが、番号を勘違いして「こまち」に乗り込んでしまい、気づいた時には大宮を発車しており、仙台まで立ちっぱなし(連結していても移動できない)という最後のチョンボをかまして水沢入りとなりました。水沢は吹雪と晴天が交互に訪れるという北国特有の気候で歓迎してくれました。 元旦は、まさに日本晴れ、原中の実家から北上山地が見えるのですが、そのご来光の神々しいこと(掲示板参照)。水高やいかにと、取材精神(ネタ探し)を発揮して、水高に駆けつけて撮影した写真がアルバムに掲載されています。 うまく撮影されていませんが、校舎から昇る初日の出はなかなかのものでした。また定点観測ポイントでのくぬぎ林からの光線はうまく撮影できました。 事務局子が関東地区の委員の末席を汚しているのは、直接的理由は委員を務めていた友人のY氏が岩手で開業するため帰郷したための補充という浮世の義理だったのですが、引き受けたのはなんといっても水高が好きだったからです。好きという理由のほとんどは、一生の付き合いになる友人たちとの出会いにありますが、その次くらいに龍ヶ馬場の校舎と校地にあるのではないかと常々考えています。東京在住ながらしょっちゅう帰省する機会に恵まれているため、帰省のたびに水高を訪れ、定点ポイントをはじめとして撮影し、アルバム、掲示版に掲載しています。四季折々様々な顔を見せていることがわかるかと存じます。 そこに自分自身の思い出が連なります。春3月の入学オリエンテーションの帰り、大鐘街道で知らない新入生には驚きました。自分は現役でH北高校に落ち、一浪目でM一高に落ち、二浪目の今年、水高の理数科を落ち、普通科に救済されたとのこと。いったいここにはどんな連中がいるのだろう。 入学しての対面式、応援歌練習の強烈さは、さらに衝撃で、枯れ草と新芽が混ざり合う土手で蛮声を張り上げる自分に驚いていました。ドラマ「燃えよ剣」の土方歳三みたいな副団長や、練習指導から」野蛮人かと思っていたら話し始めたら、理路整然としたインテリになったリーダーに魅かれて、自分が2年で応援団リーダーに立候補するおまけもありました。 現在の校舎ではない、平屋の木造校舎の最後の世代ですが、入学して部活のため、かなり時間が遅くなった暗い廊下から聞こえた歌声もいまだに心に残ります。「翼をください」という曲を長髪弊衣破帽で肩掛けズックかばんの先輩が、ささやくような声で出口に向かって行きました。 木造校舎、旧体育館、まきストーブ、購買部のNさん、松林、クヌギ林、奥羽山系に沈む夕日・・・・・校舎、借景を含めた校庭、学校林すべてが水高なんですよね。 来年は百周年記念式典を控えています。すでに事業は今年本格化することになるのでしょう。地元在住の方、遠隔地の方、みんなが、龍ヶ馬場の水高に参集したくなるような式典が一番いいのです。 今年も、情報を収集、公開していきたいと思います。よろしくお願いします。 #:写真は、岩手日報の元日企画「海外在住県人からのメッセージ」に、OBの友人のコメントが掲載されていましたのでご紹介します。ほかにも何名も掲載されていますので、まだ手元にある方は読んでみてください。 No.121 今年はこれでおしまい 事務局子 2008/12/30(Tue) 20:33 今年は筆舌に尽くせない年でした。
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みなさま、同窓会サイトへのご訪問ありがとうございました。 来年は関東地区同窓会の総会、水高百周年の前の年、明るい話題満載の同窓会サイトにしたいですね。 来年は今年以上のみなさまの投稿をお待ち申し上げます。 みなさま、ごきげんよう。 No.120 暗い年の瀬 事務局子 2008/12/28(Sun) 08:22 26日は仕事納め(御用納め)の日でした。官公庁や民間企業の多くは1月5日の仕事初め(御用初め)までの9連休ですが、例年のような浮き立った気分はありません。そういえば、クリスマスも例年に比べて盛り上がりが欠けていました。
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1年前はどうだったかと当日記を読み返しましたが、同窓会サイト正式立ち上げで、なんとか訪問者を増やそうと、東京都内大学巡りや、受験突破のための料理なんて取り上げていました。それが1年というか、この2.3ヶ月での様変わりには驚かせられます。「地方の衰退」を論じるなんてまさに上から目線で、いまやショック吸収力のない都会がこの危機の嵐にさらされています。 過日、都内で、日雇いの仕事の募集に並ぶ数百人の行列を目撃しましたが、並んでいた人たちは、平均50歳というところで、30代の人も目立ちます。「半分が年下」というのはいささかショックでした。数ヶ月前、ネットカフェや漫画喫茶に寝泊りする人が問題になりましたが、もう実態はかなり進んでいます。 昔は、失業に対する緊急避難場所としての実家がありました。昭和30年代あたりまでは、実家が農業という家が多く、今より社会保障が整備されなかったわけですが、とりあえずは家に逃げ込むという手段がありました。そのために、潜在失業率と統計上の失業率にギャップがあったわけですが。 ところが現在は、マルクスの言うところの価値創造は賃労働でしかない層が大半で、期間従業員とか派遣の人は、一度放り出されると、住む場所まで奪われてしまいます。住む場所がないと、次の就労機会が失われる悪循環になります。 事務局子が社会に出た昭和50年代は、ホワイトカラー(懐かしい言葉!)のみで構成される非メーカー系の大企業の新卒は大卒(院卒)オンリーになっていましたが、社内には優秀な高卒の先輩がごろごろいました。高等数学を操る方もいらしたのですが、どうも好きで早く社会に出たわけではないようで、つまりは家庭の事情を斟酌して大学に行かなかったのが最大公約数的な答えのようです。 同世代の半数以上が、高卒後、専門学校を含めて進学する実態を是とするか非とするかついこの間まで議論されていましたが、レジャーランドであろうがモラトリアムであろうが食うためでない生活を送る機会が多いことはいいことです。それを生かすか殺すかに関しては自己責任でうらみっこなしなんですから。 ことこの局面に至り、就学機会が狭まった層がみんな孝行息子(娘)になり、家族いっしょに頑張るという姿は予想しにくく、社会が荒れることが予想されます。 これまで何度も書きましたが、都会で大学生活をおくるには多大の費用がかかります。額面上の収入全額をつぎ込んでも、上京私立大学生のコストを捻出できない層が急速に増加しています。 派遣切り→ホームレス、という構図があまりにショッキングなため、マスコミは一斉報道をしていますが、もっと大きな、社会構造を破壊する危機が目前に迫っていることも考えなければいけません。 #:写真は赤坂にある豊川稲荷に合祀されている「融通稲荷」です。豊川稲荷には、数十のいろいろな稲荷様がいらっしゃいます。太郎稲荷もありました。一郎稲荷はありませんでしたが。この「融通稲荷」八方の上に、10円玉の入った袋があり、お金に困った人は、参拝して、このポチ袋をいただき、サイフに入れます。これが霊験あらたかで、願いはかなった場合は、左下にある返却箱に、志を入れて参拝するわけです。本文の趣旨に対して不謹慎かもしれませんが、豆情報として紹介いたします。 No.119 奥州市百年の危機に対策本部設置 事務局子 2008/12/20(Sat) 09:51 奥州市が対策本部を設置 雇用情勢の悪化受け、臨時採用などで緊急対応
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(県内自治体では初) 急激に悪化する雇用情勢を受け、市は18日、幹部職員で組織する緊急雇用対策本部(本部長・相原正明市長)を立ち上げた。人員削減に伴い解雇された非正規労働者を市の臨時職員として採用する雇用創出事業などを柱とした各種対応策を確認した。臨時雇用の規模は当面、十数人程度を見込み、期間は来年1月から3カ月間。今後の動向を踏まえながら、新たな予算措置を講じ採用枠を拡大する方針。県によると、昨今の雇用不安に呼応した自治体による緊急雇用は県内では初めて。 世界同時不況や円高の進行に伴い、輸出関連の製造業を中心に業績が低迷。全国的には製造ラインの縮小や工場閉鎖など減産を強いられる企業が相次ぎ、期間従業員や契約社員の大量解雇が社会問題化している。市の調査でも、市内事業所6社で計202人規模の「雇い止め」や、実施を予定しているという実態が明らかになっている。 同日、市役所本庁で開いた第1回対策本部で相原市長は、「市として取り得る可能な措置を講じていかなければならない。方策を確認しすぐに実行に移したい。各部総力を挙げて取り組んでほしい」とあいさつした。 市独自対策の柱は、「雇い止め」などで離職した非正規労働者を対象に市の臨時職員として緊急的に採用する雇用創出事業。当面は、本年度予算で確保している臨時職員賃金枠を充当。1─3月までの3カ月間、十数人規模での雇用が可能という。 ただ、応募状況によっては採用規模の拡大も想定。相原市長は「市の体力にも限界はあるが、やれることをやりたい。臨時議会で予算の増額をお願いしなければならないだろう」と述べた。業務内容は、定額給付金事務や水道メーター整理など市の事務事業のほか、温泉施設など第3セクターでの仕事を見込んでいる。 企業側への対応策も盛り込んだ。従業員50人以上の市内企業を対象に要請活動を展開。市長はじめ幹部職員が出向き、解雇抑制に理解と協力を促す。 一方で、来年度の公共事業を本年度中に前倒して発注。議会での手続きが必要だが、年度当初から建設業関係の雇用創出を促す。 市商工観光部内に総合相談窓口も設置。平日午前8時半から午後5時15分まで市役所本庁、各総合支所で各種相談に応じる。29、30の両日は本庁のみに開設する。 このほか支援制度として、離職者対策資金利子補給制度を創設(来年1月借り入れ分から適用)、中小企業融資あっ旋制度融資枠も拡大する。 当初枠を上回る臨時職員採用の場合の追加予算措置や、公共事業の前倒し発注などに関して議決が必要な際は、早ければ1月にも臨時議会を招集したい意向。 予算を伴う具体策が後手となっている国の対応について、市長は「予算であれ法案であれ、早急に決めてもらい、明確に示してもらわなければ実際に地方は動けない」と注文を付けた。 (以上、胆江日日新聞 12/19付より転載) 100年に一度の危機、派遣、期間工切りに対して、大分県の杵築市が、契約を打ち切られた人々を臨時採用するというニュースが全国的に報じられましたが、地元奥州市も対策に乗り出したようです。 企業の今回の措置は、非情であると指弾されていますが、一方的に非難出来ないところもあります。企業の存在理由は、経済活動により、最大限の収益を追求するところにあり、それによって、税収が国家、自治体にもたらせられます。勿論雇用も。非正規従業員は、もともと、雇用の調整弁としてあるわけで、こんな事態は十分予想されていました。そのために、法律は規制を加えていたわけで、その規制を撤廃した非の大半は政治と、それを容認した選挙民とその場しのぎのマスコミにあることは確かです。 トヨタ(関東自動車も同様だと思いますが)は契約が切れた従業員を社宅に住まわせる合理的な根拠がないことと、レピュテーションリスク(血も涙もないトヨタ)のはざ間で悩んでいたはずです。これだけ非難されることは十分に予想できたことだし、それにかかる費用なんて、円高の為替差損の10銭分にもならない。仮に会社独自に対応したことに株主代表訴訟を起こされたら、株主に不利益を恣意的に与えたということで負ける可能性が高いわけです。 そこでの、行政の登場なんです。行政を行わない役所であれば、存在理由はないわけで、全部民間委託にして、民間の2倍の給料を取っている職員をクビにすれば、財政はかなり改善されることになります。臨時雇用の財源を確保することも重要ですが、「行政指導」という伝家の宝刀があるわけで、この「行政指導」がお役人の自己利益に用いられていたから、悪の権化みたいな存在として非難されていて、権限の縮小がお役人をむつけさせて有為な人材の多くがスピンアウトしていったわけです。 その意味では、対応が早い奥州市はまだまともな部類なのかもしれません。 事務局子が奥州市長ならば、人間が出来ていないので、「臨時雇用は、市内企業離職者のみで、金ヶ崎は除外する」なんてわざわざ言い出して、顰蹙と賞賛、両方を浴びそうで怖い。だけどそうなんですよね。 #写真は、大阪の浄土宗の鍼灸の家元のお寺で見つけました。 No.118 運営委員会報告 事務局子 2008/12/13(Sat) 10:16 11日、東京工業大学の田町キャンパスの「蔵前倶楽部(東京工業大学の同窓会、かつて蔵前にあったことから命名されている)」で、関東地区同窓会の若手?の運営委員で打ち合わせをもたれました。「MIZ」といいます。
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テーマは主に二つで、来年11月の関東地区同窓会の打ち合わせと100周年記念事業に対する関東地区としての協力の確認です。 関東地区同窓会は、これまでの会場だった経団連会館が取り壊し新築工事で使用不能なため、現在のところ「東京グリーンパレス」を使用することで同意が得られました。目玉である講師については、OBから人選、依頼します。 さて問題は「100周年記念事業」です。主管部署ではないのですが、そこは母校愛の発露、色々な意見が出されました。本部事務局の方々には腹を立てないで聞いてもらいたいものです。もし読んでいればの話ですが。 まずは予算ですが、1億近くの経費のかなりの部分を、OBの浄財(寄付)でまかなうことになっています。出席6名中、事務局子ともうひとりは文系ですが、ほかは東京工大、北大、東北大(2名)の純粋理系なため、根拠のとぼしい数字にはダメだしするわけです。 1学年300名として、20歳〜70歳のOBの総数が15000名、物故者、連絡不能者は少なくとも5000名はいるとして、寄付依頼送付可能者は多くて10000名です。50%の方が1万寄付に応じたとして5000万円です。 年に一度の同窓会報(何通送付しているかは不明)に振替用紙を封入して、ただ入金を待つなんて、♪待ちぼうけ♪のお百姓さんみたいなことはしないでしょうが、通信費だけで100万近くかかります。そもそも、受領者の半分が寄付に応じるとか、一人あたり1万の見込みなんてプランを民間企業で提出したら、上司にどやされるでしょう。関東地区としては、1口5000円を小口にすること、周知に対する工夫(例えば、当HPの活用や、本校HPでの積極的マーケティング)を要望しましたが、さてどうでしょうか。 記念事業についても、多々意見が出されましたが、ここは割愛します。なにしろ情報が乏しいもので。ただここが一番重要であることは言を待ちません。 記念式典については、会場についてユニークな意見が出されました。 「新体育館」(今はどうよばれているかわかりませんが校門横の体育館のことです)はどうでしょうか。 一関一高は市内の会館が使用されていました。水高の場合もおそらくZホールなどを会場にして、最低限市長、できれば県知事、OBの国会議員あたりを来賓にして、厳粛かつなごやかに行うのでしょう。それを新体育館でやる理由は? OBが母校を愛する理由は第一が旧友たちと青春時代を共有したことにあるのですが、その舞台としての龍が丘が重要な部分を占めます。先ごろ亡くなられた遠藤実さんの「高校三年生」、ペギー葉山さんの「学生時代」を彷彿とする高校生活は何ものにも代えがたいものです。 式典の会場が水高新体育館となれば、地元、遠隔地問わず、出席してみようと思うOBは増えるわけです。記念事業として、水高の歴史の文物を展示する資料館(使っていない教室利用で結構)を設置するなんて、費用的にもリーズナブルと思えるのですが。式典出席の大半を占める現役生徒にとっても、外部会場なんてたいした意味はありませんものね。 その記念式典ですが、目玉の記念講演が、一関一高はアグネス・チャンさんの講演でした。以前にも書きましたがそれがどうも解せないわけです。歴史のある一関一高には現存者でもそうそうたるOBがいらっしゃるのに、なぜアグネスなんだろう?アグネスさんが悪いというのではないのですが、素朴な疑問です。その意味では、先輩一関一高事務局に、運営について教えを乞いに行くのは、運営事務局のまずやる仕事ではないかと思います。 会合で出されて、他の出席者の賛同を得られた意見の一部を紹介しました。記念事業はすでに開始されているそうですし、式典までも2年を切りました。100年に一度の大不況の到来の状況に記念事業がぶつかったのは不運ですが、それは事実ですから、こんな時こそ、OBの英知を結集できればと考えております。まあそのためには、せめて母校HPを通じた、一般OBへの情報開示が第一だと思いますが。 # 写真は国会議事堂の12月です。東京も空気がきれいになりました。 No.117 ちょっといい話 事務局子 2008/12/06(Sat) 10:03 「俺たちに明日はない」なんてデスペレートな気分になる昨今の情勢ですが、東京に出ている友人のひとりに大変うれしい知らせがありました。
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よく考えたらこれは凄いことなので、日記で紹介する次第です。 彼は公人ではありませんのでイニシャルでS君としておきます。S君は、剣道で「教士七段」の称号を付与されることになりました。剣道や弓道などの武道には、この場合の「教士」という称号と「○段」という段位があります。段位については、剣道では八段が最高位です。称号は、六段以上の高段位の剣士に授与されるもので、錬士、教士、範士とあり、八段位の剣士にしか授与されない「範士八段」が現行の最高位ということになります。 今回の授与の何が凄いかというと、まず段位の取得が困難だということです。昇段には試験があるのですが、六段から七段の合格率は10%程度。技量は当然ですが、もっと器量が問われます。これからの話ですが、八段の合格率は1%程度ですから、これは名人とはいわないまでも達人の域です。 しかしながらなぜわざわざ紹介するのか。それは彼が超多忙なビジネスマンだからです。剣道人口は実は多い。なぜならば、中学高校にはほとんど部活としてあるため、全国をならすと膨大な剣道人口があります。しかし、高校を卒業してしまうと、ほとんど剣道から離れてしまいます。なぜならば剣道を続ける環境がないからです。大学剣道部の剣士も、警察や教師にでもならないと、ここで剣道とお別れです。ちなみに全日本剣道選手権の出場者のほとんどは警察関係か教師です。 S君は水高時代にも、県では主要大会の個人戦で準優勝とか優れた技量を発揮していましたが、大学はK大学で、有名ではあっても国士舘大学のような強豪ではない。卒業して入社した会社の業界は、多忙という意味では金融業界と並んで最右翼に近い。こんな環境で、平日は、早起きで体をなまらせないようにして、休日は町道場で子供たちを教えながら、自己鍛錬を30年続けた結果が今回の称号授与につながったわけです。これって本当に凄いことです。彼は岩手の剣道連盟とは接点がないので、水高の後輩剣士たちもご存知ないと思われますので、ここで紹介した次第です。 S君は酒も大好きで、「教士七段」以前に「酒仙剣士」の称号を私的に贈っていましたが、達人は凡愚と紙一重というわけで、電車で幽冥界をさまよい、寝過ごすようなお茶目もありますので、謹厳実直だけど面白くない人間では勿論ありません。 「先輩にこんな人がいる」と紹介しても、それがどうしたということでもありますが、なにか親近感がわかないでしょうか。有名人はともかく、「地の塩」的な方の情報は自分の年次および前後くらいしか把握できません。いろいろな情報を寄せられるとこのサイトも充実することになります。 #:写真は2日の大阪道頓堀の風景です。「バンザイ」ってちょっとべたかな。 |後の10件| |