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No.96 お盆です  事務局子 2008/08/12(Tue) 22:02
 いよいよ明日からお盆。関東地区のOBも沢山帰省しているかと存じます。

 未確認情報ですが、同窓会本部総会には80名程度の出席で、前回比100%増加です。

 出席された方、レポートをいただければ幸いです。


 #写真は、夏休み、水高サッカー部の写真です。
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No.95 土曜日は同窓会総会  事務局子 2008/08/05(Tue) 04:54
 平成20年の同窓会総会を下記の要領で開催いたします。
皆さんふるってご参加ください。
eメール、Tel、Fax、郵送のいずれでもかまいませんので、参加のご連絡をお待ちしております。
連絡なしの飛び入り参加も大歓迎です。

開催日 : 平成20年8月9日(土)15:00〜
総会会場: 水沢グランドホテル
        水沢区東町40
        TEL 0197 (25) 8311

        招待恩師: 添 田  均 先生 (昭和39年〜42年ご在職)
                主 浜  勉 先生 (昭和44年〜46年ご在職)

総 会 : 15:00〜16:15
懇親会: 16:30〜
    
懇親会参加費: 2,000円


水沢高等学校同窓会
事務局
奥州市水沢区龍ヶ馬場5-1(水沢高等学校内)
  TEL 0197 (24) 3151
  FAX 0197 (22) 3037


 #土曜日は同窓会総会です。地元の方、帰省された方、皆さんのご出席をお待ちしています。

No.94 夏休みの思い出(お盆)昭和40年代  事務局子 2008/08/04(Mon) 09:08
  昭和40年代、子供にとっての水沢のお盆を思い出してみましょう。
 商家などは盆棚や提灯を大々的に飾りつけたものですが、家が勤め人だったのでその点は大変質素なものでした。
 とはいってもそれなりの準備は必要で13日に向けて色々雑用があります。まず仏壇をきれいに掃除する。物置から提灯を出す。初盆を除けば、吊るし型の岐阜提灯、スタンド型の提灯がそれぞれ一対程度です。盆棚も商家、旧家などは1畳程度のものもありますが、まあ一般家庭は申し訳程度です。子供にとって楽しいのはナスやきゆうりを使って、牛や馬を作ることです。ホウズキやみょうがもつるします。
 母親は、お盆料理を作りますが、今と違って、台所手伝いなどしない父親がこの時は出番です。そうずんだ作りですね。当時すでにミキサーは家にありましたが、ミキサーよりもすり鉢ですった方が絶対うまい。父があぐらの間にすり鉢をはさみ、子供は鉢が動かないように支えてするわけです。味付けは、塩をトッピングすると甘さを増すのですが、それを不思議に思うか「まっ、いいか」で済ませるかが文系と理系の分かれ道です。

 12日までに大概の準備は済ませるのですが、仕上げは13日早朝の朝市です。現在は水沢公園がメイン会場ですが、当時は駅通りに、ずらりと店が並びました。5時頃行っても結構な人だかりです。グラジオラスや菊などのお供え用の花、蓮の葉や青リンゴ、青バナナ?野菜やおこわまであります。出店しているのは、ほとんどリヤカー(当時)でしたが、そこに同年代の子供が付いてきたりしています。普段見かけない顔なので、ちらっと見ると、なにやら頑健でふてぶてしい。ワルガキであったらケンカでも始まりそうですが、町っ子は線が細い。ホームにもかかわらず当方が退散しました。

 市では、黒や白の粒が入った、きみ(とうもろこし)が売られていて、年に一度食べるのが楽しみでしたが、後年、農村地域出身の友人に話したところ、それは「馬っこきみ」といって、飼料用のとうもろこしだったそうで・・・聞かなければよかった。

 朝市から帰り、飾りつけを終え、朝食を済ませると、お墓参りです。小山崎の墓に行きましたが、当時は、お供え持ち帰りルールなんてなくて、墓から離れると近所の子供達が、さっと、持って行きました。

 午後はプールへ行ったり、せみ捕りをしたりで過ごし、夕方家に帰ると、迎え火です。消防法がうるさくなかったのか、家の角で迎え火を焚きました。仏様が迷わないように火力が強い、朝市で購入した松の根を燃やしました。

 お盆中は、この地方は餅料理のAtoZがあったようですが、我が家は母が釜石のサラリーマンの娘だったもので、そのような由緒正しいしきたりはありませんでした。

 お盆は今でも関東地区OBが大挙帰省するように、行事よりも親戚との交流の思い出が多いでしょうが、我が家は帰省してくる身内もいないのでいたって静かでした。友人の家などには、いとこなどが来ています。東京から来たという彼のいとこたちはいやにあかぬけて見えて構えてしまいましたが、実は埼玉や千葉だったんでしょう。地域差別ネタになって申し訳ありません。

 そんなこんなで15日の終戦記念日、16日の送り火と続くのですが、水沢地方はそのあとすぐに新学期が始まります。お盆の時期は朝晩は涼しさを通り越しているほどで、夏も終わりなんですね。夜中耳を澄ますと虫の声も聞こえ、なんともいえず風情があります。郷関を出でて数十年、親がいるからというのが一番の理由ですが、夜中の虫の声を聞くために帰省している気にもなります。

よく「盆と正月」といいますが、日本人なかんずく東北人はお盆オリエンテッドですね。

 9日は、同窓会総会が水沢グランドホテルで行われます。地元の方、帰省される方お誘い合わせて足を運ばれたらいかがでしょうか。意図したわけではないでしょうが、二次会に流れこむには丁度いいスケジューリングになっていますよ。


 #写真は、御徒町駅と上野松坂屋の間にあるディスカウント「吉池」の裏にある魚介市場です。近くにアメ横がありますが、あそこは啖呵売りのパフォーマンスを楽しむ所、冬場はともかく、常温で生魚をさらしているので、今の時期はお勧めしません。実はこの市場では、ホヤが売られています。1個150〜250円で殻つきホヤを購入できます。それ以外の魚も新鮮で安価で手に入ります。休みの日の買出しなんかいかがでしょうか。
  ホヤ遭遇確率は上野に比較してかなり低くなりますが、新鮮な魚介いう意味では、荻窪駅の駅ビル、セブンタウン地下の売り場も穴場です。荻窪であれば、ついでにラーメンの「春木屋」に立ち寄るという楽しみがあります。「春木屋」はラーメンオブラーメンの店ですが、最近せこいことをしています。普通のラーメンは700円(これは絶品、飽きないという意味では)ですが、壁にトッピング表があり全部頼むと1900円になります。地方からラーメン行脚で上京した人は、一期一会なもので、トッピングを頼んでしまいます。「松・竹・梅」で、ほとんど「竹」に誘導されるように。

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No.93 夏休みの思い出(七夕まで)  事務局子 2008/08/03(Sun) 10:40
  8月の初めからお盆にかけては日本のふるさとのハイシーズンですね。

 事務局子にとっての小学時代である昭和40年代は、ざっとこんな感じでした。
 7月28日頃:終業式。いそいで帰って学習関係の宿題を当日、翌日くらいで全部済ませる。昆虫採集などの段取りを行いました。(絵)日記も終わらせようと考えたけど、フィクションになるのであきらめる。決められた時間(当時、水沢小学校は1学年6クラスあったため、学年か地域で時間が割り振られていた)に簡易プール(鉄骨で組み立て、ブルーシートをかぶせたプールがあった)に泳ぎに行きました。
 8月初め:子ども会の夏の日帰り旅行がありました。各町内でバスを仕立てて、主に海水浴に出かけたものです。高田松原、宮城の大谷海岸、渡波などが目的地で、数年に一度、花巻の志度平温泉になることがあり、この時は落胆したものです。
 ラジオ体操:今は東京では夏休みの初め4.5日申し訳程度実施されていますが、当時は毎日行われていました。カードを持参して、終わったあとハンコをもらい、休みの終わりに鉛筆などの賞品をもらうわけですが、それよりも欠席に対する脅迫観念が大きく、親戚などに泊りに行った時、現地でハンコをもらったものでした。
 穴っこぜみ:補虫網でセミや蝶々を収集するのは今も昔も同じなのですが、当時は成虫に孵化する直前、地上に出るために、2.3ミリ程度の穴を開けて外をうかがっているところを捕まえることが流行っていました。夕方とか超早朝に市内であれば水沢公園や各お寺で、はいずり回りながら穴を探したものです。捕まえた穴っこぜみを昆虫カゴに入れておくと、成虫に孵化するのですが、そのまま逃がしたとしても、一度、人の手でさわられたセミは、さらに寿命が短かったようです。
 七夕:当時は、市内の商店街は、七夕の飾りが豪勢にかけられました。一番混む時はすれ違いもままならないくらいでした。また子ども会も、飾りを出品しました。当時は小学生でしたので縁日がなんといっても楽しみでした。浴衣姿で歩いている同級生の女の子に出会ったりするとどっきりしたものでした。
 風鈴音頭:七夕からお盆にかけてのつなぎの数日、市内は盆踊りの一種である「風鈴音頭」がとりおこなわれました。その後、厄年の出し物から発展した「ざっつぁか」がしばらく続いたようです。
 盆踊り:水沢公園などで、盆踊りが行われましたが、子供でしたので1.2度見た程度でした。むしろ進学で水沢を離れてから、お盆に帰省した時、実家の部屋で風に乗って聞こえてきた「胆沢音頭」の方が風情を感じたものです。

 お盆については項をあらためて書いてみたいと思います。

 大人になって、友人が集まって夏休みの話をすると、タイプはアリとキリギリスに分かれるようです。「サザエさん」のカツオ君のように、最終日に、波平父さんやマスオさんにSOSを発するキリギリス型と、なんでも早めに片付けておこうというアリ型です。事務局子は日記までも初日に片付けようとしたアリ型でしたが、やはり極端は反動がくるみたいで、現在は、「アスタマニアーナ(明日できることは今日するな、明日があるさ)」の典型になってしまいました。


 # 写真は阿佐ヶ谷の七夕飾りです。「仙台・平塚・阿佐ヶ谷」が日本三大七夕とのことですが、「三大」とつくものは三番目は入れ替え自由なようです。
 Ex 「三大大仏:奈良・鎌倉・○○」「三大稲荷:伏見・豊川・○○」「三大がっかり:札幌時計台・土佐はりまや橋・○○」「三大校歌:早稲田大学・明治大学・○沢小学校?」

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No.92 恐れ入りました「白亞スポーツ」さん  事務局子 2008/07/27(Sun) 08:59
 23日深夜、岩手県北部を中心として起こった大地震にはびっくりさせられました。東京でもローリングするような揺れが長時間続きました。いつものことながら安否に関しては判明するまではやきもきされたのではないでしょうか。
 水沢(旧町内)に関しては今回も震度5を記録しながらも被害は軽微に終わりました。震度6強を記録した洋野町は、あの大野高校のまさに地元、あの熱戦で勝手ながらシンパシーを感じていましたので、身内が住んでいるように心配しました。

 その高校野球ですが、友人の多い仙台二高も今回は準決勝に進出しました。しかも準々決勝は、延長15回引き分け再試合という劇的展開なわけで、翌日勝利したあと友人の一人に連絡したところ、「準決勝で東北、決勝で育英とやるにはちょっとハンデを与えすぎたけど大丈夫!」と力んでいました。(結果はご承知の通り)

 母校に抱くプライドは仙台二高にひけをとらない盛岡一高のサイトでも覗けばこのコラムのネタでも見つけることが出来るかと考え検索したところ、出てきたのが「白亞スポーツ」というホームページでした。いやあこれには恐れ入谷の鬼子母神でした。(ちょっと表現が古い)

 詳しくは、実際「白亞スポーツ」で検索していただくとして、そのコンテンツの充実度たるや、一高校のスポーツホームページとしては日本一ではないかと断言できます。今回の岩手大会については、我が母校もOBの協力で充実した写真報道が出来たのですが白亞のそれは全然レベルが違う。また、「スポーツ」と冠しているように、コンテンツが野球に偏っているわけではない。一高に関するものならマイナーな部活についても、きっちりアップされています。運営管理人の個人サイトと断っていますが、個々の選手名、プロフィールまでおさえているので、資料面では学校側からの協力があることがうかがえます。
 面白いのは他校動向でした。野球に関しては、OBが監督や校長を務めている場合はきちんと回生表示がなされています。野球以外の部活についても、監督(教員)の人事異動については、盛商OBの超有名監督の斎藤先生以外に、OBが監督、部長を務める高校の部についてはきちんと言及されています。

 久慈高校に勝利した翌日のアクセス数は5600件(アクセスについての分析コーナーもありかなりオタクの域)という驚異的数字を記録しているようです。

 気になるのはこのサイトは個人情報がテンコ盛りであることです。水高サイトは掲示板などへの投稿は基本的にハンドルネームですし、管理人、運営委員の氏名も開示していません。だからこそ覚悟が出来ているので内容が面白いわけですが。
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No.91 インターミッション;夏場の水分補給について  事務局子 2008/07/22(Tue) 22:56
  今年の水高野球部の活躍は、OBも含めまだ興奮が続いています。

 ここらで少し一休み。ためになる話をしましょう。

 OBで会社勤めの皆さん、世の中エコの時代、クール・ビズも普及したというところで、オフィスの設定温度は28℃くらいになっているはずです。ところが実際はもっと高いはずで、ペットボトルが机の常備品になっているかと思います。現役生に説明すると、大企業に関しては、お茶くみが廃止になり、自分で飲み物を手当てしなければいけません。

 そのボトル、何をお飲みですか?おそらく、緑茶系、麦茶系、ウーロン茶系、ミネラルウオーター系あたりでないかと思います。
 先日美貌を売り物(本人は否定)している財界のアイドル社長にためになることを聞きました。
 机のウオーターは、スポーツドリンクの4倍希釈したボトルがいい。お茶や水は意外と体内に吸収されないものだそうです。汗などで失われる成分を補給するために、スポーツ選手が機能系飲料を摂取するのは結構なのですが、いかんせん糖分の含有量がハンパではないらしいです。
 ですから、4倍くらいに薄めて飲むのだそうです。
 朝、500mlのスポーツ飲料を購入し、2リットルのカラのペットボトルにスポーツ飲料1、水3の割合で混ぜ、冷蔵庫に保存して、適宜、摂取する。半分外出、半分デスクワークのような一般的サラリーマンはこれで、2000CC水分を摂取、それ以外に食事等で1000CC水分を補給すると、まず水分摂取の必要量を確保できるらしいです。勿論、デスクワークオンリーであれば量を少なくし、外歩き専門であれば、のどが渇く前にこまめに摂取することは言うまでもありません。

 140〜150円で一日に牛乳10本分の飲料をゲットできるのは経済的にもバカになりません。
 事務局子は会社で朝、昼で150円の500CCボトルを購入していますが、月20日として月間6000円、年間に換算すると72000円、水にかけているわけで、ういたお金で家族が一日ディズニーランドで遊ぶくらいになります。

 話がせこくなりましたが、実は会社で37歳の後輩が脳梗塞で入院しました。水分不足が原因かどうかわかりませんが、水分コントロールは命にかかわる重要な問題ではないでしょうか。

 #写真は、水沢江刺駅で撮影した南部風鈴です。申し訳ありませんが、今時、ガラスの江戸風鈴はともかく、結構音が大きい、南部風鈴を吊るすところなんてあるのでしょうか。

 
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No.90 ブラスバンド応援 そして「水高讃歌」  事務局子 2008/07/21(Mon) 09:00
  水高球史に残る盛岡中央戦が終わり一晩過ぎましたが、盛岡一高みたいに粉砕されたわけでなく、アマチュアボクシングなら判定勝ちだったような試合に悔いが残ります。
 試合の流れを引き寄せられなかった結果ですが、ここでブラスバンドがいたらという声も一部にあります。

 昭和20〜30年代、旧制中学と高等女学校の融合が図られていた時代のことはわかりませんが、40年代からは、和太鼓と応援団の声のみの応援の時代が続きました。その中で応援団のバンカラスタイルが天然記念物化していったわけですが。

 吹奏楽部の定期演奏会の案内に触れられていますが、ここ数年、グランジなバンカラ応援団がなくなり、ブラスバンドが応援に導入されています。今回は、吹奏楽部の定期演奏会に重なり、準決勝にはブラスバンドは登場しなかったのですが。

 10年ほど前、横浜に住んでいた時、テレビ神奈川というローカルテレビで神奈川県大会をよくテレビ観戦していました。その時の慶応高校の応援はある種感動的でした。今でこそ、中学の有望選手を優先入学させ、甲子園出場を果たしている慶応高校ですが、当時はそんな制度はなく、下からのお坊ちゃまと偏差値73を突破して入学してきた生徒だけの学校で、強くはなかったのですが、その年はあの神奈川でベスト8くらいまで勝ち上がりました。
 見ているとどうも相手を応援で圧倒しているらしい。野球の対戦では、よほどのレベルの差がない限りは、1試合に2.3度のチャンスはあるものです。
 チャンスが巡ってくると、友情応援?の慶応女子高のチアリーダーを先頭に、進軍ラッパが鳴り響き、あの「若き血」がブラスバンドでドンドコ鳴らされます。慶応だけでなく、スタンドも下手をすると敵方の応援団も、そのリズムにはまり込みます。地力はどう見ても上の敵方の投手はコントロールを乱し、内野手はファンブルし、外野手はバンザイし・・ということでビッグイニングをつくり、勝ってしまうのですね。

 水高吹奏楽部はそれ自体がクラブであり、スタンドで演奏するのはまさに友情応援なのですが、たらればは禁物ですが、何度かあったチャンスでブラバンがたたみかけてくれれば・・と思っている次第です。

 もっとも事務局子も現役時代は、応援団リーダーの末席でしたので、ブラスバンドが入る応援なんて考えられませんでした。一人一人腹の底から声を出して、それが合わさることで相手を圧倒しようという、精神論ながら、正論なのですが、そこにブラスバンドがあったらという発想が当時は欠けていました。

 「ブラスバンドは応援団のスピードレーザーだあ」

 バンカラ(スタイルであり精神ではないと信じています)の自己崩壊がこの数年のブラバン参加なのですが、なんかいい方向に行ってほしいですね。
 球場で写真を送り続けてくれたY氏によると、球場では、おなじみの応援歌以外に「水高讃歌」が流れたそうです。萩尾望都のギムナジウムものやケストナーの「飛ぶ教室」を連想させるような、素晴らしい作品なのですが、事務局子の時代は、練習でも取り上げられませんでした。吹奏楽部が参加したからこその「水高讃歌」なのでしょう。

 Y氏が送ってくれた試合後の球場風景には、優勝歌(凱歌)よりも水高讃歌の爽やかさが似つかわしいと思いませんか。


 #:写真はラーメン屋台「仙台屋」のおじさんです。宮城県出身のおじさんは昭和39年、青葉町に「仙台屋」を開店。その後メープル隣の横町側に移転。区画整理のあと、病気したこともあって一時休んでいましたが、8年ほど前から、駅通り、スガハラ左隣の駐車場で夜だけ、バス屋台で営業しています。
 事務局子は中学時代、この店で初めてみそラーメンというものを食べました。またラーメンライスなるメニューもここが最初でした。OBそれぞれの年代で色々思い出があるのではないでしょうか。
 18日深夜、水高サイトへの写真掲載の依頼でおじさんと話していたら、4人でラーメンを食べていたおじいさんの一人に「あんだ水高か」と声をかけられました。中学校時代の先生なのですが、教科を教えてもらったわけでないので名前が思い出せない。失礼しました「先生」・・・うーん、まだ思い出せない。
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No.89 燃えた夏  事務局子 2008/07/20(Sun) 22:14
 19.20日緊急帰省をしてきました。
 本日の準決勝はあいにく法事と重なり、水沢にいました。
 おいおいレポートするとして、本日正午の駅どおりの風景を掲示していきましょう。

 みんな期待してたんです。
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No.88 花巻→盛岡 明日は盛岡支部同窓会だ!  事務局子 2008/07/17(Thu) 21:36
 本日行われた甲子園岩手県大会、4回戦前沢戦が花巻球場行われ、9-4で勝利し、ベスト8に進出しました。
 明日、準々決勝4試合が岩手県営球場と花巻球場で行われます。水高は12:20(予定)対戦相手はシード校の盛岡工業です。
 残り3試合は、久慈VS盛岡一高、花巻東VS盛岡中央、専大北上VS盛岡大附です。
 盛岡工業に勝利した場合は、準決勝は花巻東と盛岡中央の勝者です。私学全盛の岩手県大会決勝は、盛岡一高と対戦したいものです。盛岡一高におかれましては是非頑張ってください。

 前沢戦は1回表3点を先行、その後も6回までで7-1と危なげない展開で、特派員も球場には駆けつけませんでした。先発の1年の伊藤君はそつない投球で9回2アウトまで、来年以降が楽しみです。ここで調整投球のため、エース松本君がマウンドへ。三球三振でゲームセット、明日へ気分の良いつながりが出来ました。-

 本日は1年生の応援、明日は全校応援だそうです。
 7回頃に「水高讃歌」が流れるのでしょうか。

 明日は盛岡支部同窓会です。時間のある人は花巻球場から会場に駆けつけましょう。
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No.87 金曜日は盛岡支部総会、全員集合だ  事務局子 2008/07/16(Wed) 22:54
 昨日の大野高校との死闘、まさに水高史に残る試合でしたね。
 私事ですが、スタンドから熱狂の写真を送ってくれるY氏や私の世代は野球に関しては冬の時代でした。中学生の時分の昭和44年、水高が甲子園記念大会の岩手大会の決勝に進出した時代がありました。オリンピックの男子バレーはミュンヘンで金メダルを獲得しましたが、当時を知る人は決勝の東ドイツ戦よりも、準決勝の深夜(日本時間)のブルガリアと死闘がすりこまれていますが、あの時は準決勝の盛岡三高戦の決勝ダブルスクイズがすべてでした。

 脱線しました。その後水高は低迷期に入り、三年の県予選では今回コールドで一蹴した釜石工業に敗退する時代で、50年代、伝説の名投手、大槻君の出現がその後の水高野球部の進撃の狼煙、つまり谷間の時代でした。
 だから二戦連続のぞくぞくする場面に巡り会えた後輩がうらやましいわけです。

 折りしも、今週金曜日は、盛岡支部の総会です。昨年も多数の出席者(添付写真参照)で盛会でしたが、当日は準々決勝の前日です。若いOBも集まりおおいに盛り上がりましょう。
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