京橋の滝山町の
新聞社
灯ともすころのいそがしさかな
銀座6丁目、並木通りの朝日ビルの前に啄木の歌碑があります。当時東京朝日新聞があった場所に、啄木没後60年、銀座の有志によって建てられたそうです。
啄木は郷里の代用教員を追われたあと、北海道各地を家族を連れて放浪しましたが、結局東京に出てきます。明治42年、朝日新聞の編集長であった佐藤北江が盛岡出身であったこともあり、校正係として採用され、のちに朝日歌壇の選者にもなりますが、明治45年病をえて、亡くなります。
小さい頃読んだ伝記の刷り込みもあり、啄木は貧窮のうちに亡くなったというイメージがありますが、これは半分正解でしょう。朝日新聞の社員が在籍したまま貧乏のどん底で窮死したということですから、これは普通であれば考えられませんね。啄木は天才にありがちな性格に問題あり、歌人としての才能はかわれても人間としては嫌われました。
金田一京助博士の子息である春彦先生も、作品と人間は別と生前語っていました。妻子は半ば飢えさせても、自分は大島と敷島のタバコ(現在ならば、英国屋の仕立てスーツとハバナの葉巻といったところでしょうか)、天才的な借金魔ですから周囲はたまりません。歌碑の建立が没後60年ということは、啄木を直接知る者が全員物故して、名声のみが残った時間と一致します。
もっともそれは啄木の作品の価値を落としめるものではありません。北は北海道から南は九州まで、日本一歌碑が多い歌人ですし、日本人の誰もがひとつやふたつ知って歌を知っている唯一の歌人でもあります。
蛇足1:日本一有名で、ダントツに出版部数の多い詩人は宮沢賢治です。勿論歌人ナンバー1は啄木です。ブックオフで書棚を眺めていると、ナンバー1小説家の漱石や、賢治、啄木は意外と見当たりません。みんなしまいこんでいるのですね。逆に名前は控えますが、一棚いっぱいという作家もいます。愛着度がわかって面白いですね。
蛇足2:啄木の歌碑がある並木通りの左筋向いに名店「空也最中」があります。小ぶりの最中10個入りが1000円ですが、漱石の「猫」にも登場する名品で、味たたずまいともにエクセレントです。土産などで持参すれば、わかる人にはセンスを絶賛されます。わからない人にはケチと思われますから相手をよく見極めてください。ただし、購入するためには、数日前に電話予約して、受け取りに足を運ばなくてはいけません。不精は人は無理ですね。