水高 020917
水高同窓会Hp事務局日記
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No.136 伊達市って吉里吉里国?  事務局子 2009/03/28(Sat) 09:53
  数日前、土地の公示価格が発表になりましたが、全国ほとんどの地域が下落している中、わずか23箇所値上がりした地点のベスト5のうちの3箇所を占めたのが北海道の伊達市でした。名前のとおり、明治時代に宮城県の南部地域から移住して出来た地方都市です。ちなみに水沢からは北海道へは長沼町に移住して、現在姉妹都市になっています。 
 理由は、移住者が増加してマンションや戸建住宅が活況だからのようです。伊達市は奥州市と同様、全国にありがちな衰退都市でしたが、北海道では比較的温暖で雪が少ない条件を生かして、「コンパクトシティ」を標榜して、様々な施策に着手して、今その結果が出てきているわけですね。市の予想はうれしい意味で裏切られ、移住者は全国に広がっているようです。
 伊達市のコンパクトシティ構想とは、市街地中心部2キロ四方の地域に、商業、住宅、病院などの公共施設を集中し、お年寄りが、サービスを徒歩で享受する環境を整える行政施策です。2キロ四方とは、コンパクトとはいいますが、実は水沢の旧市街地は全部包含されるくらいの広さがあります。地方都市はなにもコンパクトシティなんて力まなくても、すでにコンパクトシティなのですから、伊達市の成功は、その発想よりもオペレーションにみそがあるようです。

 奥州市も同様の政策を行っているようですが、伊達市ほどの顕著な成果はまだ生まれていないようです。しかしながら伊達市に比較すると条件ははるかに勝っていると思われます。
 まず、交通のアクセスです。新幹線により3時間で東京とつながっています。冬は寒冷ですが、降雪量は大したことはない。冬以外の快適さはおわかりのとおりです。米をはじめとした食糧の質は全国有数であること。近くに仙台という気軽に行ける大都市もある。なによりも水高がある。
 首都圏は偏差値輪切りになっているので、早慶にはのべで100名合格するのに東大には一人も合格しないなんて高校があります。学力的には東大から○○大学まで多様性に富み、共学で、高校生活も完結している地方のセンタースクールは高校のスタンダードだと思います。一関や北上からも生徒が集まればさらに結構ですが、どうも逆・・・脱線しました。

 こんな奥州市は、都会からの移住者には凄く魅力的ではないでしょうか。あるいは、この地域から都会に出た人のついの棲家としても。
 勿論、地元の方々にもいい話です。真城あたりの兼業農家で地元の中小企業、商店に勤めているケースは多いと思いますが、公務員でもない限り、給料なんてたかがしれているわけです。それなのに交通アクセスがないために、一家に車が4台なんてケースはざらにあります。まるで車の維持のために働いているようなものです。
 行政サービスとしても、山中の数戸の集落のために道路を通し、電気、水道のライフラインを整えることは、十分な立ち退き補償をした方が絶対安くなります。

 個人の意思に任せるとすべて拡散してしまいます。やはりここは行政の出番なのですね。伊達市は、福祉サービスで居住地としての付加価値を高めていますが、そこには介護などの雇用も生み出されています。
 たとえば、奥州市に関しては旧市街地2キロ四方に、予算を集中投資するのは十分に検討に値します。水沢江刺駅と水沢、岩谷堂などにシャトルバスを運行させていないのは、タクシー業者の保護の側面もあるのでしょうが、利用者は、バスの方が助かります。その代わり、タクシー業者には、補助金を付加することで、(いやな言葉ですが)後期高齢者の通院などの便宜を図る。胆沢病院、水沢病院といった大病院と個人医院を循環する100円バスを運行する。
 市街地のスーパーには宅配機能を充実させる。するとここでも雇用が生まれます。旧商店街は、特徴のある店作りのためのプロのコンサルタントをはり付ける。後継者がいない商店と事業運営希望者を結びつける。

 スーパーの宅配にしても、たかが数千円の買い物の配達に人を使うなんて合理化と逆行するかもしれませんが、山中の数戸の集落を維持するための行政コストと比較すると全然高負担ではありません。
 この大不況、内需喚起で、またぞろ、道路だ橋だという蠢動が見うけられますが、それは市街地への集中投資に振り向けるべきでしょう。
 利害関係の調整は、なかなか難しいですが、それをやるのが行政なのではなのではないでしょうか。

 先日、たまたま帰郷したら、丁度新聞に奥州市の人事異動が掲載されていました。しかしその数の膨大さには驚愕しました。ローテーションを考慮すると実際の人数は4〜5倍に及ぶのでしょうけど。これらの方々が、中央並みの給料をいただいているのだから、消費効果を考えても、奥州市のダントツの産業は公務員ということになります。
 市役所の職員の給与は、20%程度、奥州市でのみ通用する買い物券にしたらいいと思います。京都市なんかは80%くらいでいいと思いますが。
 申し訳ないけど、これらの方々は、考えるのは得意ではないけど、言われたことはほぼ間違いなくやる能力はあるわけで、行政トップがきちんと道筋を示したら、大きなうねりが生じると思います。

 # 写真は22日に撮影した新宿御苑の桜です。このあたりはポカポカ陽気で、東京の開花宣言も出たのですが、その後冬に逆戻りで、現在もこんな状態でしょう。


No.135 「米百俵」の精神を  事務局子 2009/03/17(Tue) 10:04
 <米百俵の由来> 「長岡市ホームページ」より
 幕末維新の風雲は、戊辰戦争で長岡城下にも及んだ。長岡藩は、軍事総督・河井継之助の指揮のもと、奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と徹底的な戦闘を行った。このことは、司馬遼太郎の歴史小説「峠」で広く紹介されている。その結果、250年あまりをかけて築き上げた城下町長岡は焼け野原となり、石高は7万4千石から2万4千石に減らされた。
幕末に江戸遊学をし、佐久間象山の門下生であった虎三郎は、独自の世界観を持ち、「興学私議」という教育論を著していた。戊辰戦争の開戦に際しては、長岡藩が参戦することに反対の立場をとっていた。敗戦後、文武総督に推挙された虎三郎は、見渡すかぎりの焼け野原のなかで、「時勢に遅れないよう、時代の要請にこたえられる学問や芸術を教え、すぐれた人材を育成しよう」という理想を掲げ、その実現に向けて動き出した。明治2年(1869)5月1日、戦火を免れた四郎丸村(現長岡市四郎丸)の昌福寺の本堂を借りて国漢学校を開校し、子どもたちに「素読」(論語などの読み方)を教えた。
翌年5月、長岡藩の窮状を知った三根山藩から米百俵が見舞いとして贈られてきた。藩士たちは、これで一息つけると喜んだ。食べるものにも事欠く藩士たちにとっては、のどから手が出るような米であった。
しかし、藩の大参事小林虎三郎は、この百俵の米は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして米百俵を売却し、その代金を国漢学校の資金に注ぎ込んだ。こうして、明治3年6月15日、国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目、大和デパート長岡店の位置)に開校した。国漢学校には洋学局、医学局も設置され、さらに藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもも入学を許可された。国漢学校では、小林虎三郎の教育方針が貫かれ、生徒一人一人の才能をのばし、情操を高める教育がなされた。ここに長岡の近代教育の基礎が築かれ、後年、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出された。東京帝国大学総長の小野塚喜平次、解剖学の医学博士の小金井良精、司法大臣の小原直、海軍の山本五十六元帥……。
この国漢学校は現市立阪之上小学校に引き継がれ、「米百俵」の精神は長岡市のまちづくりの指針や人材教育の理念となって今日に至っている。
  (以上、長岡市ホームページより転載)

 「米百俵」は小泉元首相の就任演説で紹介されましたから記憶されている方も多いかと存じます。
 16日付の「まだ現役?さん」の投稿は、母校の公認サイトとして全面的に賛成することは穏やかではありませんが、理念としては大変共鳴します。

 「奨学」という意味ではなにも長岡が専売特許だったわけではありません。
 貧富の差では今とは格段の差があった昭和30年頃までは、地域社会が奨学の気概を持っていました。昔は、貧乏人、小作人には勉学の機会が与えられなくて、尋常小学校で抜群に出来ても、家が貧しければ、進学の機会が奪われて、一生力仕事しかなかったと考えるのは一面しか当たっていなかったのです。
 裕福な商店は店員か居候かわからない書生をおいていたし、庄屋は、貧しい小作の子どもで優秀な子は、私財で進学させたり、少なくとも自宅に引き取って、習いものが出来る環境を作っていたりしたものでした。
 農地解放や人件費の高騰で、篤志家が存在しにくくなった戦後普及したのが、育英会の奨学金で、事務局子の時代(40年代後半)でも、奨学金を受けている同窓は沢山いました。

 翻って現代、当コラムで再三にわたって指摘していますが、生徒からみた進学環境はひょっとしたら四半世紀前よりも悪化しているのではないでしょうか。
 前回書きましたように、東京の私学に進学させることの出来る家庭は、限られています。「やる気があるなら新聞奨学生も」という声も出るでしょうが、いつの時代でも自分でなんとかする層はいるもので、それを基準に考えてはいけません。
 親の貴重な仕送り、育英会の奨学金、それに「水高奨学金」、これで進学環境はかなり変わります。
 この経済環境では、基金を創設しても、寄付金の金額レベルでは十分集まらない可能性が高いのですが、受け皿をつくることは重要です。私学の同窓会誌などを見ると巻末に結構な寄付金が載っています。また悲願の甲子園出場を果たしたら・・・・随分おつりが出るでしょう。新篤志家という話では、同窓生では、会社が公開して、何十億という株長者になった方もいらっしゃいます。

 「記念事業の見直し」は極論ですが、「まだ現役?さん」の投稿は、十分に検討すべき内容を持っているといえます。


No.134 棒は人生でなくバットで振れ  事務局子 2009/03/14(Sat) 09:29
 国立大学の前期の発表も終わり、ほぼ受験も終了、大学入学、捲土重来の差はあれど、いよいよ巣立ちの季節到来です。
 経済の状況はご承知のように、恐慌一歩手前になっています。暴落した株式の水準は30年前になっています。ところが授業料は当時に比べて国立で5倍、私立で3倍程度になっています。このコラムで何度も書いていますが、東京は勿論、地方でも一人暮らしにはびっくりするくらいのお金がかかります。家で親と同居していた時には認識していなかった電気代、ガス代、水道代・・・なによりも食費、家賃が襲い掛かります。東京であれば、授業料を抜きにしても15万はないと普通の学生生活はおくれないと思います。子どもに200〜300万仕送り出来る家庭なんて、水沢あたりだと、お医者さんか繁盛している自営業、それと共働きの公務員家庭くらいでしょう。
 そうなってくると頼みはアルバイトです。少し前であれば、バイトでお金をためて海外旅行なんてみんなしていたことですが、今は地方からの上京学生は苦学生ですね。その意味では性格がひん曲がるようでは困りますが、多少お金には若い時は苦労した方が、あとの人生転落のリスクが少なくなります。

 地方のシャッター街に行くと、サラ金とケイタイショップがはばをきかせていますが、つまりはそれだけ利用者がいるわけです。良心的な?サラ金では学生は審査で落ちるでしょうが、手練手管で借金の世界に引きずり込む悪徳サラ金も多数存在します。その名のとおりの「学生ローン」というものもあります。
 サラ金(銀行の個人ローン)も金利は驚くほど高い。年率13〜20%程度でしょうか。10万借りて1年で利息2万は確かに高い。だからみんなそんな借り方は最初はしないものです。サラ金(学生ローン)利用は最初はささいなことから始まります。親からの仕送りの10日前にお金がなくなった。困った。親に送ってもらったり友達にちょっと借りるのは格好悪い。それで10日後には返せるのでサラ金(学生ローン)に行って5万借りた。金利20%だとしても10日であれば返済時3〜400円オンするだけ。これは便利だということでちょくちょく利用するようになる。
 学生の段階ではそれで破綻するのは余程のバカということになりますが、やっかいなのはそこでついてしまった借り癖です。写真にあるように、卒業時社会人になるための準備には結構お金がかかります。ここで50万程度借りたあたりから、金銭に対する感覚はだんだんマヒしていきます。サラリーマンをやっていて、独身であれ既婚であれ、お金に不自由しないということはまずありません。AOYAMAのスーツを着たり、2000円で散々飲み食いできる「さくら水産」で飲み会をしたりしてなんとかやりくりしているのです。

 「借金」とは甘美な現実逃避です。ちょっとの間に合わせのつもりが気づいたら深みにはまっているのです。この泥沼は、しっかりした人間も引きずりこまれます。
 そうならないためには、やせ我慢であれ本当の難行であれ借金しないことです。有名人で「キャベツで何日もしのいだ」なんて得々と苦労話を披露しますが、そこまでやる必要はありません。安い米なんて5キロ、1500円程度で売っています。朝晩であれば最低半月はもちます。学食もご飯と1品であれば2〜300円程度で、体面の関係のない男子であれば十分です。

 お金の管理が出来ない人間は人生のどこかでは必ず自爆します。

 デートの費用のためサラ金(学生ローン)に行くなんて、人間失格の第一歩を踏み出すようなものですよ。老婆心ながらの一言です。

それでも借金してどうしようもなくなったらどうするか?早く親に泣きつくのです。親だってお金が潤沢ではないのだから、50万のうちにギブアップするのです。多くなれば多くなるほど手遅れになりますよ。



No.133 不況の釧路訪問  それと啄木  事務局子 2009/03/07(Sat) 09:54
 しらしらと氷かがやき
 千鳥なく
 釧路の海の冬の月かな
       石川 啄木

 この啄木の歌は、ある年代の方々は教科書に載っていたのでご存じでないかと思います。啄木の歌の中では傑作とはいえませんが、情景が目に浮かび上がります。啄木は岩手を追われたあと、北海道に渡り、函館、小樽、札幌(数日)、釧路と流浪して、東京へ去ったのですが、この間に多くの歌を残しています。釧路にはわずか76日しか滞在しませんでしたが、市内の25箇所も歌碑が立っています。ちなみに歌碑の所在数は多くの歌人、詩人の中で啄木がダントツだそうです。

 その釧路に出張で行ってきました。

 さいはての駅に下り立ち
 雪あかり
 さびしき町にあゆみ入りき

 北海道経済はすでにかなり前から疲弊しており、街もどんよりした気候とともにしずんでいました。仕事で車のディーラーの社長に会って、販売動向を聞いたら、この数が月の変調の影響はないと言います。なぜならもともと売れていないから。といっても売れていないのは新車で、中古車は引き合いが多く、ロシアの輸入業者と争奪戦を繰り広げているそうです。車は水沢以上の必需品、車がなければどこにも行けないので、運転できる人はみな車を保有しているそうです。なにしろゲタがわりだから、デザインも性能も関係ない。今の車は海辺でも錆びないので、ほっておいたら20年くらい走るそうです。
 また別の会社の社長に会ったら、制度金融に関して異常に詳しい。雇用することでの補助金、工業団地への立地補助金、公的金融機関からの超低利融資などなど。つまり公から金を引き出すノウハウに精通しているということです。
 前夜、全日空ホテルに宿泊したら、料金が朝食バイキング付で5500円。ANAホテルとはあの六本木や梅田のホテルと同じですから、東京であれば15000円は下らないわけでこれは得した気分でした。現地の人に事情を聞くと、ビジネスホテルや二食付の旅館が4000円前後なので、規定料金を半分にしないと空室ばかりになるとか。おかげで幣舞橋(うさまい橋)のほとりで釧路川の河口の景色を格安で堪能することができました。らっこのくぅちゃんは見かけませんでしたが。

 北海道、とりわけ札幌以外は、四半世紀にわたって不況が継続しているわけで、団塊ジュニア世代以下は好景気どんなものか知らないわけなのですが、だから街がすさんでいるわけではない。観光施設も兼ねた、海鮮市場「和商市場」は新鮮で安価な魚介にあふれているし、居酒屋の炉辺焼きも本格的でうまいし、安い。地元の人は車で動いているため、外で頻繁に呑むわけにはいかないから、必然的に帰宅も早くなる。早く帰ったら、だんまり食事というわけにもいかないので、いやいやでも家族が会話することになる。語り合えば少なくとも、決定的断絶を生じることはない。
 運転してくれた支店長車の運転手さんは、週休完全二日であること、有休休暇が取得できること、残業すればそれだけ収入な増えること(サービス残業はない)を喜んでいました。そんなこと当たり前だと思っていた事務局子には新鮮でした。

 恐慌ともとれる経済状況ですが、生き方としては今回の出張は考えさせられることが多かったため、啄木つながりの牽強付会で、コラムに書かせてもらいました。

 余談ですが、啄木の代表的歌に次の歌があります。

 たはむれに母を背負いて
 そのあまり軽きに泣きて
 三歩あゆまず  (一握の砂)

 啄木はカッコマンで、母親なんて背負ったことはないと書いている評論家がいます。啄木が実際に背負ったかどうかは本人しかわからないわけですが、つまるところ、啄木はそんな奴だというのが知る人には定説なのでしょう。盛岡中学を中退せざるをえなかったこと、渋民の代用教員の座を追われたこと、北海道ではあちこちトラブルを起こしたこと、東京で朝日新聞の嘱託になりながら貧窮したこと、すべては原因が啄木にあるわけで、作品と人格の評価がこれほど異なる文学者もいないでしょう。。
 一方、宮澤賢治は、結構若気の至りとおぼっちゃま気質も発露していたと思うのですが、神聖化がすすんで、神棚?に祀られています。

 私的には、死んで100年たとうとしても悪口を書かれる啄木にシンパシーをもちますが。


 # 写真は、幣舞橋のたもとのANAホテルから釧路川を臨ううでします。対岸の少し入ったところが、啄木が住んだ「米町」で25の歌碑の大半はこのあたりに立っています。


No.132 滝田監督そして佐藤監督  事務局子 2009/03/01(Sun) 09:13
  過日の「おくりびと」のアカデミー外国語賞の獲得は、うれしい出来事でした。すでにヒットしていた作品で、まわりにもすでに見ている人もいて、先物買いしたようないい気分にひたっています。

 アカデミー賞は所詮アメリカの業界の賞という見方もありますが、すこしたとえがずれますが、大学スポーツ界における箱根駅伝みたいなものでしょう。
 今回の受賞でうれしいのは娯楽作品が受賞したということです。日本映画は黄金の50年代以降、衰退しているときも作品は世界的にはそれなりに評価され、カンヌ、ベネチア、ベルリンといったメジャーな映画祭でグランプリを獲得しています。ところが黒澤監督以降の受賞作は、芸術系(あるいはそのように見える)で、興行と賞は別物でした。北野たけし作品は正直ベース、さっぱりわけがわからない。ところが映画見巧者はわからないといえない。みんな凄いと言っているから、自分も1票というところが、国内外同じ感覚なんでしょう。

 「映画は誰のものか?」という命題に対しては、答えはそれは監督のものでしょう。黒澤作品、クリント・イーストウッドの新作というように。
 ところが今回の作品はどうも「もっくんのもの」らしい。それはそうで、もっくんが実質的プロデューサーで、監督も「雇われ」みたいなものですから。実際何人かの候補から選ばれたそうですから。
 選ばれた理由はここにあると思うのですが、滝田洋二郎監督、興行的にはほぼ10割打者なんですね。1986年一般映画に進出してから、「コミック雑誌なんていらない」から「僕らはみんな生きている」「壬生義士伝」など、黒字の幅が大きいか小さいかだけだから凄い。だから滝田監督に冠せられる「職人」はリスペクトの意味なんですね。

 といったところでやっと本題です。今回の受賞で、出身地の富山の高岡で、ご両親が祝福されていましたが、名声はこの20年というところで、それまでは故郷の恥と見られていたのではないでしょうか。新聞記事で故郷の周囲の人が語るところによると、監督は、頭はいいけど田舎の規範には収まらない人だったようで、勉強もしないで進学したのも商業高校、映像の仕事をやりたくて高校卒業後、東京へ飛び出し、映像まわりの雑用をこなしながら、ありついたのはピンク映画の監督でした。監督が上京した1970年代は日本映画にとっては最悪の時期で、メジャー映画会社は、そもそも、監督どころか制作スタッフの採用もしないわけで、巷で泥をすすらなければならなかったわけです。

 同様な境遇で、早世してしまいましたが、盛岡出身の相米慎二監督がいます。相米監督も、ピンク映画監督を経て、一般映画に進出、「台風クラブ」で注目され、その後は順調で、次代の旗手と目されるまでなりましたが、病ではかなくなったわけです。「壬生義士伝」の監督に決まっていたそうですが、そのピンチヒッターが滝田監督なんですね。
  若松孝二という、日本映画の極北に位置する監督がいますが、同様にピンク映画出身で、それまで新宿でヤクザまがいの生活をしていたり、赤軍派のシンパだったりしていて、映画界での評価は好き嫌いは別にして、絶対避けて通れない存在なのですが、故郷の宮城県の郡部の町では、ほとんど語られることはありません。

 滝田監督は、おそらく県民栄誉賞くらいはもらうことになり、故郷に錦を飾ることになるのでしょう。
 ふるさとは「あそこのせがれは・・」から「昔から抜きん出ていた」と手のひらを返したように歓待するんでしょう。
 唱歌「ふるさと」に ♪ こころざしをはたして いつの日にか帰らん・・♪という一節がありますが、映画」「おくりびと」の野辺の送りのシーンとともに、なにか監督の来し方が浮かんできました。

 余談ですが、水高出身の佐藤嗣麻子監督の「K-20 怪人二十面相・伝」も大ヒットです。彼女の脚本・監督の作品はテレビ・映画ともに「はずれ知らず」ですね。そのあたりは滝田監督と通じるところがありそうです。水高のライブラリーには彼女の作品は充実してるんでしょうかね。


No.131 国立入試が始まる  事務局子 2009/02/21(Sat) 12:59
 東京に春一番が吹き、いよいよ弥生三月桜咲くかと無理なつかみですが、私立大学の入学試験もほぼ終了、25日からは国公立大学の入学試験が始まります。昔も今も国立志望の多い水高ですので、落ち着いて本番に臨んでもらいたいものです。
 東京都内が受験先という方は少ないと思いますので、積雪による交通の遅延などでパニックに襲われる危険は少ないと思いますが、そこはそれ「備えあれば憂いなし」早めの入場を心がけましょう。

 大学は学問をするために進むわけですが、そうはいっても、就職のパスポートを得る場所であることも否定できません。4年後、6年後社会人になる時は、世の中がどんな趨勢になっているかは、ある程度想像しておくべきでしょう。
 現在は、不況か恐慌か判別がつかない状態で、3年先に局面が劇的に転換しているとは考えにくい状況にあります。1990年代から2000年代にかけての就職大氷河期の世代は、ここ数年の就職売り手市場の時代にも取り残され、割りを食っています。3年先の就職超氷河期(の可能性が高い)がもろに自分に降りかかることは覚悟しておかなければいけません。

 今回、世界経済危機が始まった時、日本を代表する企業であるトヨタとキャノンが真っ先に派遣、期間工の契約打ち切りを発表し世間から激しく指弾されました。彼等が心理不況の戦犯であることは確かですが、派遣や期間工は、雇用の調整弁であることはあらかじめ想定されていたわけで、調整弁が作動したときのセーフティネットを構築していなかった政策と、当時わかっていながら報じなかったマスコミ、それと我関せずだった国民全部が非難の対象だと思います。

 さて、正社員とはどういうものか。正社員は雇用契約によって保護されているので、かなり保護された立場にあります。大学を卒業して40年近く勤務したとすると、生涯賃金はラフに計算すると2億〜5億くらいになります。低い方の2億をとっても、これは大変な金額です。水沢の商店街の、靴屋さん、アクセサリー屋さんで、利益でなく、売り上げで年間1億を越す商店がいくらあるでしょうか。
 ラーメン屋さんがあったとして、水沢あたりで1日、100人入店したら繁盛店といえます(あの有名な「銀○」も100名はいかないと思います)。売り上げは700円×100→70000円。月商200万×12ヶ月→2400万円。材料費、不動産費、水道、電気、ガス、車両費・・・・などなどを差し引いたものが残りということになりますが。
 会社は、個人に払う給料以外に、同程度のコストがかかると言われています。つまり会社は、大卒社員を採用すると想定される支払い賃金×2くらいの経費が40年近くかかることになります。
 企業が社員を採用することはいかに大変かということです。採用した社員が利益を生み出してくれたらいいのですが、そうでなければ4〜10億の不良償却資産を抱え込むことになります。

 会社というところは、いい大学を出たからとか、勉強が出来たからとかで必ずしも役にたつところではありませんので、(勉強はほとんどしませんでしたが)「ラグビーだけは死ぬほどやりました」とか「バイトで吉野屋の店長をしていました」とかいう連中の方が活躍したりします。ただ、いい大学を出ていい成績をとった者が確率的には役に立ちますので、このような不況状況では採用担当は慎重な姿勢になり、「未知数だが面白そうな奴」ははじき出されることになる可能性が高くなります。

 つまり、今大学をくぐる見込みの諸君は、こんな近未来が待ち構えているのです。


 #;写真は1週間ほど前、東北新幹線から撮影した岩手山です。やはり秀峰ですね。


No.130 「おきな」かぐや姫を訪ねて月面へ  事務局子 2009/02/14(Sat) 10:29
 「かぐや」の成果 米科学誌に〜奥州・水沢のVERA観測所 (02/13)
佐々木室長「世界的に認められた」

 国立天文台RISE月探査プロジェクトが、月周回衛星「かぐや」の観測により進めてきた月の地形と重力の研究成果が、十三日付米科学誌サイエンスに二本の論文として掲載された。奥州市水沢区の水沢VERA観測所が開発段階から大きくかかわってきただけに、同プロジェクトの佐々木晶室長は「かぐやの成果が世界的に認められた」と喜んでいる。

 論文は、同天文台や国土地理院、宇宙航空研究開発機構(JAXA)などの十一人で共同執筆した「月周回衛星『かぐや』レーザー高度計(LALT)によって得られた月の全球形状および極地の地形図」と、七つの研究機関・大学の研究者十九人の執筆による「月周回衛星『かぐや』の4ウェイドップラー計測による月の裏側の重力場」。

 JAXAが十九年九月に打ち上げたかぐやは、月全球の正確な地形と重力場を世界で初めて明らかにした。詳細な地形図を作製したことで、重力の分布から地形による効果を差し引いて、地下の重力の偏り(内部の密度異常)を浮き彫りにすることに成功した。成果は一年ほど前に発表されたが、掲載論文ではさらに多くのデータを用いて地形図と重力地図を作り直したという。

 両論文の執筆にも携わった佐々木室長は「今回のプロジェクトは基礎的な開発段階から水沢VERA観測所が中心的な役割を担って進めてきた。当初から論文は多く書かれ、学会発表も何度も行ってきたが、注目度が高いサイエンス誌に掲載されたのは、世界的に認められたということ。研究成果がかなりの水準にあることを証明できたと思う。苦労が報われた」と喜んでいる。

 かぐやの二つの子機のうち、月の裏側の重力地図作製に活躍したリレー衛星「おきな」は十二日夜、月の裏側に衝突して使命を終えた。非常に複雑な観測計画の組み立てをほぼ一人で担った水沢VERA観測所の松本晃治助教は「一年以上付き合ってきたので感慨深い」と話している。親機のかぐやは六−八月、もう一つの子機「おうな」は数年後に月面に落下する見通し。

月はやっぱり丸かった 極半径を初の直接計測

 月の極方向の半径は千七百三十五・六六キロと、赤道半径の千七百三十八・六四キロと大差なく、完全な球に近いことが、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の月探査衛星「かぐや」のレーザー高度計による初の直接計測で分かった。最も高い地点と低い地点の高度差は十九・八一キロと、従来測定より二キロ以上大きく、地球並みと判明した。

 地球が横に膨らんでいるのに対し、月が球に近いのは、自転速度が遅く、遠心力が小さいため。月の最高地点は赤道近くのクレーターの縁、最低地点は南極近くの重なったクレーターの底で、どちらも地球から見えない裏側にあった。地球では風雨などで高低がならされてしまうが、月は大気も水もなく、大昔の隕石(いんせき)衝突跡がほぼそのまま残ったという。

 九州大学の並木則行助教らは、かぐや親機と子機「おきな」が連携して観測した月全体の重力分布から、月内部の表側(地球側)には重い物質が多く、四十億−三十五億年前には高温で溶岩噴出もあったが、裏側は低温だったと発表。名古屋大学の山口靖教授らは、月の表側の海(平地)の地下構造をレーダーで観測し、地層の曲がり具合から、約二十八億年前に月全体が冷えて縮まったと発表した。

 月の起源は、約四十五億年前に太陽系が形成された際、地球に火星サイズの天体が衝突し、破片から誕生したとの「巨大衝突説」が有力。かぐやの観測成果は直接結び付かないが、宇宙機構の加藤学教授は「月の表と裏ははっきり違い、内部に起源がありそうだ。鉱物の分布も分かると月の姿が見えてくる。三−五年後には新しい月モデルを作らないといけない」と話した。

 レーダー観測には東北や京都、金沢、福井工業の各大学の研究者も参加した。
【写真】月周回衛星「かぐや」の観測による月地形図。高度基準は重心を原点とする半径1737・4キロの球面。裏側に最高地点(高度10・75キロ、黒丸印)と最低地点(マイナス9・06キロ、白丸印)がある(宇宙航空研究開発機構・国立天文台提供)
       (以上 岩手日日新聞  2月13日付け)

 一般紙で「おきな」の月面衝突の記事を読みましたが、水沢のVERA観測所が深く関与しているんですね。田舎の何の変哲もない町に、世界の最先端な施設があることを幸運としなければいけませんね。佐々木室長も学者バカの正反対に位置する方でもあり、この環境はなんとか生かしたいものです。


No.129 受験のお守り  事務局子 2009/02/11(Wed) 07:15
 いよいよ受験本番になりました。

 努力に勝るものなしとはいえ、最後は神頼みというところでしょうか。
 水沢であれば駒形神社、日高神社、東京だと湯島天神、早稲田の穴八幡、ニューウェイブとしては以前紹介した神楽坂の赤城神社にある蛍雪稲荷といったところでしょうか。これらの神社に参拝してお守りをもらいます。これは仏教徒であれ、キリスト教徒であれかわりません。

 ところがもっと実益のあるお守りがありますので、水高生にだけ?教えましょう。
 それは「ストッパ」です。ストッパとは、外出中、会議中などでの突然の下痢症状に水なしで対応できる薬で、市販薬は20錠程度で1000円くらいで売っています。

 「過敏性腸症候群」という名前は聞いたことがあると思います。突然腸の具合がおかしくなる症状で、通勤の電車の中で一番発症します。これは原因がストレスで食事に気をつけてもどうしようもありません。この症状に悩んでいる人は沢山いるもので、朝の駅のトイレはいつも満杯です。これは朝家でトイレに行き忘れたわけではありません。経路にあるトイレの場所をすべてチェックしている人もいます。

 この「過敏性腸症候群」は受験生でも頻繁に起こります。特に東京で受験で地理に暗いケースの場合はパニックになります。また受験会場で発症することもあります。その時の強い味方が「ストッパ」という錠剤です。
 突然襲う下痢症状は精神性のものが多いので、心が安定しているとまず発症しません。受験であがるのは、それだけの努力をしてきて手ごたえがあるからで、記念受験であがるなんてことはありません。

 したがってこの「ストッパ」は財布に入れておくと、活躍することはまずありません。つまりお守りなんですね。沢山持つ必要はありませんので、友人同士で共同購入すれば、コストは100円程度です。まさに賽銭ですね。

 ことわざに「備えあれば憂いなし」とう箴言があります。ボーイスカウトにも「備えよ常に」という言葉があります。
 受験生の皆さん頑張ってください。


No.128 大学受験本格化  事務局子 2009/02/07(Sat) 10:12
 今週あたりから私立大学の入学試験が本格的に始まりました。来週再来週が集中週ですから、受験生の皆さんには頑張ってほしいものです。普通は緊張していると風邪はひかないものですが、やはり注意は必要です。
 言い古された手法ですが、外出の帰宅時には手洗いうがいは必須です。自宅では励行しているでしょうが、学校や勤務先がアナになっています。製薬会社のマインドコントロールが効いて、うがい薬がないとどうもという方もいらっしゃいますが、お医者さんに訊いたところ水道水で十分だそうです。いかに頻繁にするかの方が重要です。外で昼食をとって戻った時、歯磨きをする人は結果的にうがいしていることになりますが、そうでない人はそのままです。昼食も外出ですから。
 また受験で上京される諸君は昔のように本郷の修学旅行旅館などに泊まる人はほとんどいなくて、ビジネスホテル(なかにはシティホテルの方もいるようです)に宿泊しますが気をつけなければいけないのは部屋の乾燥です。朝起きると喉がヒリヒリするかもしれません。バスルームのドアを開けっぱなしにして風呂にはお湯を張っておくとか、洗濯物を部屋干しにするとか、床に水を撒く方法もあります。アウェイの宿泊は注意です。
 それとやはり会場到着試験開始1時間前に到着するスケジューリングです。最近人身事故や信号故障でよく電車がストップします。自分が乗る電車が止まってしまった時のストレスは大変なものです。1時間の余裕があれば、東京なら大半がタクシーでカバーできます。

 それと昨年も書きましたが、現役の高校生諸君が、東京の大学の受験会場に行くと気後れします。いかにも頭の良さそうな男子受験生やジャニーズ系とか、ファッション雑誌の読書モデルのような女子とかが目白押しで、自信を失いそうになります。今の水高生は、東京での受験の服装は私服なんでしょうか。むしろ学生服をびしっと決め、学生帽をかぶっていけば逆に都会の受験生にプレッシャーを与えることができます。グランジスタイルはやりすぎですが。
 緊張して日頃の力を発揮できないのが一番残念なことです。「緊張、緊張、緊張」とお題目を唱えていると、緊張することに疲れてしまいます。リラックスなんて最初からあきらめて、緊張して臨めばいいのです。


No.127 奥州宇宙遊学館もうすぐ1周年  事務局子 2009/01/31(Sat) 11:03
 以前このコラムで紹介しましたが、取り壊される予定だった旧水沢緯度観測所の旧本館の保存運動が実り、昨年4月、「奥州宇宙遊学館」がオープンしました。11月には入場者が1万人を越えたとのことで、この種の施設としてはまずは順調が出足のようです。
 この保存運動と運営に関しては多くの水高OBがボランティアとして参画しています。さすがSSHというところでしょうか。
 ただこのような施設は、たえずブラッシュアップしないと、閑古鳥が啼くはめになりますので、ボランティアから「よいアイディアを」というリクエストが届いています。ホームページにはメールアドレスが表示されていますので、メール、FAX,書面などで応募されたらいかがでしょうか。

 そこで「質の伴った入場者増加の方策」の一例を掲げてみたいと思います。検討資料はホームページです。以下箇条書きしてみます。

@ 宮澤賢治
  保存の最功労者は宮澤賢治といえます。旧本館の取り壊しについては一般市民の反応ははっきり言って冷淡で、このままでは取り壊しになるところが「宮澤賢治に縁があるのだから」という水戸黄門の印籠で生き残ったといえます。現在の展示主要アイテムになっています。
  宮澤賢治は日本一蔵書率が高い(実際に読んでるかどうかは?)作家・詩人で、研究者もファンも日本一多いため、賢治学会には海外を含む、全国から人が集まります。今までも、フィールドワークの重要地点だったはずですが、宮澤賢治記念館とのコ・ワークは絶対です。施設の紹介パンフなどはお互いに置いておくのは当然です。
  遊学館が「理系の賢治」に絞った論文の募集をしてもいいでしょう。

A 学校の理科見学
  HPによると、入場者のコアは学校の見学のようです。奥州市はHPによると幼稚園が26、小学校33、中学校が12あります。隣接の一関、北上、花巻は同程度、盛岡は3倍くらいの数なはずで、全部見学したらそれだけで昨年半年の入場者を上回るでしょう。また年齢的には幼児から高校生まででそれぞれがテーマが異なるわけですので、毎年見学のリピーターになります。美術館と異なり、体験が重要なので、見学は1クラス程度の編成がいいでしょう。何よりも、小学生は実は理科が大好きです。これは理系脱落者も記憶に残っていると思います。十分楽しむ前に理屈を教え込もうとするからいやになるわけで、遊学館は、素晴らしい学習コンテンツです。学校の見学のあと、個人的にリピートする子どもが増えたら、これだけでこの企画は大成功です。

B 水高・SSH
 これは、入場者増加のマーケティングと異なりますが、現在の国立天文台VERA研究所と水高とのパイプを太くすることです。世界的な理科の最先端研究所が自転車の距離にあるわけですから、天文台側のギブギブギブですが、水高は師事すべきです。事務局子は文系として、水高OBが天文台に研究者としてほとんどいないことに首をかしげているのですが。

C タイアップ
 あざとい方法ですが、悪名も名声も知られてなんぼのものです。新撰組の土方歳三は大人気ですが、あの写真からファンになる人が多いようです。賢治も作品もさることながら、賢治のストイックさはあの畑を見回る写真一枚で膨大な論文を凌駕しています。
 地元の人間でも、種山高原の青空と清涼な風はイーハトーブを実感させます。賢治の宇宙観や哲学の血肉の一部に緯度観測所の訪問があることは論を待ちません。
 映画でもテレビでも一度取り上げられたらそれまでメジャーな存在でないところにご当地ブームが起きます。大騒ぎのあとどうするかは、遊学館が提供するコンテンツ次第でしょう。小説でも結構ですね。富士の樹海が樹海になったのは松本清張の「波の塔」のおかげですから。
 お役所や学者はこのあたりは不得意ですが。偶然のコラボはラーメン王佐々木教授でしたね。

D その他
 HPを見てマーケティングの観点から感心したことがありました。「きらきら星絵画展」の入選者が発表され60名も学校名、氏名が紹介されていたことです。人間は基本的に認められたい本能があり、これは幼児も老人も同じです。Aに戻りますが、紹介された子は良質なリピーターになるでしょう。入選した学校の先生も俄然やる気になります。
 高校生・一般対象の論文であっても、応募作が三桁程度であれば全員氏名の紹介をしたらいいと思います。論文のコンテンツがたまればHPに掲載したらいいでしょう。
 また冒頭、アイディア募集の案内をしましたが、HPがメールアドレスが開かない(自分でアドレス入力が必要)のは×。また管理はきちんとするという前提ですが「声」紹介も設けるべきでしょう。

 こうしてみるとキラーコンテンツはなかなかないもので・・・・頭の柔らかい現役諸君の脳細胞に期待する以外ないでしょうか。
 



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