七福神の内、日本古来の神様は1人。日本古来であるのに真言があるというのも妙です。 エビスとエミシは同義語という説がありますし、エミシは良い呼び方でエビスは蔑んだ言い方なそうな。 何故エビスの方が神様に?米作り以外の技術を持たない弥生人から見て漁労技術や広い農業技術を持った先住民は不気味でもあり貴重でもあったんでしょう。 東エビスという言い方もあり東北訛りがルーツかも知れません。 東人(アヅマビト)も昔は毛人(ケヒト=異人)で→エミシ(蝦夷)→エゾ(蝦夷)、アイヌと呼び方も呼ばれる住民の中心地も関東から東北そして北海道へと移動していますね。 恵比寿と並ぶ大黒様は仏教やヒンズー教にもありますね。今の日本では宝くじの神様にされている。 大黒様は本来大黒天であり白い象の全身の皮袋を担いで手にはウサギを掴んで怖い顔をしています。 あの空の皮袋は宝くじとカラクリが全く一緒。当りくじも元々は籤を買った人達が出した金。天下、地上を廻るのは金ばかりではありませんけどね。 因幡で袋を背負った大国さまにも例えられ、混同されていて区別し難いですが大国さまも日本の神様。白兎の話まであるので余計にややこしい。
鏡餅は鏡が一般人の手に入らない頃御神体代わりに置いたもの。 置いたままでは食べられなくなるので、実際にカビが生えるし、早めに処分しないと。 今のプラスチック入りの重ね餅はその点カビが生えないし硬くならないので便利です。 昔はカビの所を削って食べ、それでも中までカビの味がしたり。良く病気にならなかったものです。或いは病気になって寿命にも影響していたのかもしれませんが。 カビにも良いカビと悪い猛毒のカビまで有ると言いますから避けたほうが無難です。 正月飾り類を神社へ納めて来ましたがきれいに分類分別して出すようになっていました。 ポリ袋と重ね餅のプラ製鏡は行き場所がありませんでした。御神体よ哀れ。 仕方がない。物は物、縁起はあっても形式ではありませんからね。
No.559
Re: 徘徊 2013/01/13(Sun) 14:58
寒い朝 窓明け換気 元気良し 想い出を 胸に仕舞って モノは捨て 身の置き場 いずこにすべきか 定まらず |
年の瀬が迫って来ると色々と整理や大掃除に片付けをしなければという強迫観念(私だけかも)が沸いてきて慌しくなって毎年大変だ。 まあ実際にはやれるだけやって後は省略、切捨て、諦めて明らめて新年となりますがね。 特に大掃除は全部ではなくてポイントを決めて手短に。従って数年がかりでやっと一巡する始末。今回も同様でした。 厄介なのは記念品。全部取っておいたら家中が不要物の山、いわゆるゴミ屋敷と同じ事に。 従ってコッソリ処分となって、頂いた人には申し訳ないけど心の奥に感謝と共に保管しておきます。 正月飾りを納めて初めて一年が終わったような気分。 年々記憶は怪しくなって来ていますが、あの世へ脱皮する時には魂全てを持って行ける様なので心配はしていません。 (試験の時にエンマさんが現れて全部見せてくれれば良いんだが) 寧ろ心配なのは自然や社会の仕組み・構造が偉い方達の言った方向ともいつも違う想定外・期待外の方へブレ出している事が気掛かり。
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